猫と暮らすということ
ナラが亡くなった。
FIP(猫伝染性腹膜炎)という、全猫のうち1〜5%が発症する病気だそう。
ナラの食欲がないなと思って病院へ連れて行き、検査をしたら陽性だった。
数年前なら治らなかった病気。
けれど今は、新しい薬が開発されていて、
まだ日本では認可されていないけれど、治る可能性があると聞いた。
保険は使えなくても、そんなの関係ない。
「治るかもしれない」
その言葉にすがって、すぐに治療を始めた。
2週間の入院。
毎日の注射と投薬。
人間嫌いで警戒心の強いナラには、どれほどのストレスだっただろう。
数日経ち、少しだけ元気を取り戻したように見えた。
けれど、ウイルスの影響で血液が作れず、重い貧血を併発。
治療を続けるには輸血が必要だと言われた。
毎日、注射、注射、注射。
ナラの小さな身体には、あまりにも過酷だったと思う。
それでも望みがあるなら、どんな治療でもしたかった。
私は今年の5月、リンパ管肉腫で愛猫ベルを失ったばかり。
ナラまで失いたくなかった。
けれど現実は残酷で、
輸血は一時的な効果にしかならなかった。
注射の副反応で肝臓や腎臓にも負担がかかり、
数値は悪化、体力もどんどん落ちていく。
それでも、最後の希望をかけて2度目の輸血。
ナラの体力はもう限界に近く、通院しながらの治療になった。
時々、呼吸が乱れて苦しそうにする姿。
見るたびに胸が潰れそうだった。
先生もきっと分かっていたのだと思う。
「ここから先は延命になってしまうかもしれません」
それでも、やめられなかった。
治療を止める=死。
その現実を受け入れられなかった。
痩せ細り、触られるのが嫌いなのに、
もう抵抗する力もなくなったナラ。
それでも、瞳だけは強く光っていた。
あの小さな身体で、最後まで生きようとしていた。
そして11月7日の夜。
自宅で急変。
何度も発作を乗り越えてきたから、今回も助かると思っていた。
「ナラ! 頑張れ! 頑張れ! まだ行かないで!」
けれど、今回は違った。
黒い嘔吐とともに激しく苦しむナラ。
私は叫びながら抱き上げた。
ナラの命は、私の腕の中で消えた。
その瞬間のことが、今も頭から離れない。
瞳孔が開いていくのを見たとき、時間が止まったようだった。
異変に気づいてから、たった3週間足らず。
あっという間だった。
けれど、あまりにも長く、苦しく、切ない3週間だった。
ごめんね、ナラ。
苦しいまま逝かせてしまって。
できることは全部したんだよ。
どうしてこうなってしまったのか。
もっと早く気づけていたら違ったのか。
ナラは今、やっと苦しみから解放されたのかな。
7年間一緒に生きて、幸せだったのかな。
何度考えても、答えは出ない。
ベルに続いて、ナラまで。
早すぎるよ。
寂しいよ。
もしこれが「乗り越えるための試練」だとしたら、
そんな強さなんていらない。
うちには、まだ3匹の猫がいる。
私はこれをあと3回も経験しなければならないのだろうか。
どうか神様、お願いです。
次は、この子たちを苦しませずに連れて行ってください。
できるだけ遠い未来で。
私の寿命を、猫たちに分けてあげられませんか。
猫と暮らすって、
もしかしたら「幸福の前借り」なのかもしれない。
そばにいるだけで、毎日を明るくしてくれる存在。
でも失うと、心臓に大きな穴が空いたように感じる。
犬も、人も、他の生き物も、きっと同じ。
ベル、ナラ。
もう会えたかな?
泣きながら、今日も絵を描いているよ。
治療も、似顔絵も、君たちにとっては人間のエゴかもしれない。
でも、人間には意味があるんだ。
どうしようもなかったことを受け入れる理由。
残された思い出。
形に残すということ。
それはきっと、人間が生きていくために必要なこと。
私がペットの似顔絵を描く意味はありますか?
亡くなった動物達の絵をオーダーされることは多いけど
こんなことで、同じ気持ちで涙を流している飼い主さんたちに
少しでも寄り添うことはできているのでしょうか。
