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AIアートについてどう思うか

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こんばんは、おはるです。

最近、AIが描いたアート作品を目にする機会が増えました。SNSでは「この絵、AIが描いたんだって!」という驚きの声が飛び交い、ニュースでも「AIが描いた作品がアートコンペで入賞」などの話題が取り上げられています。AIが生み出すアートは確かに美しく、自由自在で、時には驚くほど洗練されています。色彩のバランスや構図の妙、思いがけない組み合わせや発想に、「AIだからこそできるのかも」と感心することも少なくありません。

私はAIアートを否定するつもりはありません。それどころか、AIが生み出すアートの面白さや可能性には大いに興味があります。人間の手では再現しにくい色の重なりや、発想の飛躍には目を見張るものがありますし、「こういう表現もあるのか!」と刺激を受けることもあります。むしろ、AIのアートが話題になることで、アート全体への関心が高まっているのは素晴らしいことだと感じています。

それでも、私は「自分の絵は自分にしか描けない」と強く思っています。

私の作品には、偶然の要素がたくさん詰まっています。例えば、絵の具が思いがけず混ざり合って生まれる独特の色合いやグラデーション。水の量や筆の動かし方ひとつで、狙っても再現できないような美しいにじみができることがあります。

その一方で、作品の中には細かく描き込む部分があったり、ざっくりと大胆に筆を走らせる部分があったりと、ディテールやタッチが意図的に変わることもあります。

「ここははっきり描こう」「ここはわざと曖昧にしよう」――そうした選択を繰り返しながら筆を進めるうちに、絵が少しずつ“自分のもの”になっていく。けれど、完成した後にふと見直すと、「この部分、偶然すごくいい感じになったな」と思うこともあります。意識と無意識、偶然と必然が交じり合い、そうしてできあがったものが、私にとっての“アート”なのです。

AIがどれだけ進化しても、この“偶然の妙”や“人間ならではの迷いや試行錯誤”は、まだAIには再現できないと感じています。AIがつくる作品は、見れば見るほど「整っていて美しいけれど、どこか引っかかりがない」と感じることがあるのです。

もちろん、AIアートの存在が「人間の画家は不要になるのでは?」と心配する声があるのも理解できます。確かに、AIの登場によって「この仕事はAIの方が早く、正確にできる」と感じる分野も増えてきました。特に、ロゴやアイコンのデザイン、広告のビジュアル作成など、短時間で大量の案を出すことが求められる場面では、AIの効率の良さが際立っています。

でも、だからこそ私は、「人間にしか描けない絵がある」と信じています。

私が絵を描くとき、ただ「美しいもの」をつくろうとしているわけではありません。その時の感情や考え、迷いや葛藤、心の揺れ……そうしたものが、少しずつ絵の中に染み込んでいくような気がします。

例えば、ある日は「もっと繊細に描き込みたい」と思い、細い筆で時間をかけて線を重ねます。でも、別の日には「この辺りは思いきって塗りつぶしたい」と、大胆に筆を走らせることもあります。

それは、決して計画的なものではありません。気分や感情、偶然の出来事に影響されながら、絵は少しずつ形になっていきます。

この「迷いや揺らぎ」こそが、私の作品の個性であり、魅力になっているのだと思います。

AIにはAIの美しさがあり、それは間違いなく素晴らしいものです。けれど、私はこれからも「自分にしか描けない絵」を描き続けたい。

偶然の絵の具の混ざりや、思いがけないグラデーション。意識と無意識の間で生まれる、ちょっとした“揺らぎ”や“余白”。それは、まだ人間にしか生み出せないものだと信じています。

これからもAIのアートには注目しつつ、私は私にしか描けない表現を追い求めていきたい。そんな思いを込めて、今日も筆を握っています。

おはるのあーと/haruna manaka

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