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変化する勇気

#おはるのあーと#アーティスト#現代アート#画家#絵具#絵画オーダー#間中遥南

グループ展やSNSで出会う作家さんたちを見ていると、「この人といえばこの絵柄」とすぐにわかるような、画風がしっかりと固まっている方が多くて、正直に言うと、それが羨ましく思えたことがありました。

私は、作品を発表し始めた頃から、テーマもモチーフも色使いも毎回まったく違っていて、「統一感がないですね」と言われたり、「営業的には売り込みにくいかも」と言われたこともあります。

そのたびに、自分の描きたい気持ちと現実との間で、どこかもやもやしていました。

でも今年に入ってから描き始めた、“宇宙のような世界に生きる獣たち”のシリーズは、まさに「降りてきた」と感じるもので、迷いなく筆が動きました。

ようやく「今の私の世界観はこれだ」と言える感覚を得られて、しばらくはこのシリーズで描いていきたい、そんな気持ちでいます。

けれど時々ふと考えます。

もしまた、まったく別の世界が降りてきたら?

考え方や興味が変わって、違う絵を描きたくなったら?

そしてそのとき、今の画風が“売れ筋”だったら?

私は変わることを選べるだろうか?

そんなことを考えていた時、思い出したのが北斎とピカソでした。

北斎は、生涯で30回以上名前を変えたと言われています。

若い頃は美人画や役者絵などを描いていましたが、やがて風景画、動植物、妖怪、春画、肉筆画と、ジャンルもタッチもどんどん変わっていきます。

代表作である『富嶽三十六景』の「神奈川沖浪裏」も、実は70代で描いたもの。

晩年にしてあの鮮やかな構図と色使いにたどり着いた北斎は、90歳を過ぎても「100歳で神妙の域に至り、110歳で一点一格の生を得ん」と語ったほど。

つまり、変わり続けることこそが表現者としての誠実さだったのかなと。

ピカソもまた、青の時代、バラ色の時代、アフリカ彫刻の影響、キュビズム、シュルレアリスム、新古典主義…と、とにかく変化に富んだ作風を貫いた画家でした。

しかもそのどれもが、本気で探求していた表現の一部。

絵画だけでなく陶芸や版画にも手を広げ、死ぬまで創作を止めなかった人です。

北斎もピカソも、変わることに臆病じゃなかった

むしろ、変わらないことのほうが、自分を縛ってしまうと知っていたのかもしれません。

もちろん、画風が固まっていることも美しさです。

一目で誰の絵かわかる力強さ、ブランドとしての信頼性、商業的にもわかりやすい。

だからこそ、変わらずに描き続ける作家さんたちはすごいと思うし、尊敬もしています。

でも私は、もしかしたらまた変わるかもしれない。

変わりたくなる日が来るかもしれない。

その時は、売れているかどうかよりも、本当の自分でいられるかどうかを大切にしたい。

描きたい世界が変わるということは、今の自分が変わっているということ。

変わり続けることは、軸がないわけじゃない。

むしろ、今この瞬間の自分の感性を、ちゃんと信じてあげられるかどうか。

変わることを恐れないこと。

それがアーティストとしての強さなんじゃないかと思うのです。

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